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本論文は、南アフリカ共和国出身の小説家J・M・クッツェーの作品『夷狄を待ちながら』(Waiting for the Barbarians)において、月経の描写が小説全体の中でどのような機能を果たしているのかを明らかにしたものである。本作には主要登場人物の一人である夷狄の娘の月経が旅行中に唐突に始まるという描写があり、この短い場面は研究者から無視されがちであるが、実際は作品全体の中でふたつの重要な機能を果たしている。第一にプロット上の小道具として、娘がその前に主人公である民政官と持った性交渉で妊娠していなかったことを観客に示す機能を持っている。また、娘の月経の描写は『夷狄を待ちながら』全体に横溢する血や生殖といったモチーフと象徴的に結びつけられており、小説全体のテーマである中央と辺境、人工と自然、男性と女性といった二項対立を際立たせることに貢献している。 |