イエズス会が新修道会として教皇の認可を得たと同時に文書係が任命された。その理由は、開祖ロヨラ、ザビエル達が互いに交わしてきた報告書がこの時点で既に膨大にあり、それらを整理する係が必要だったからである。これは当時、修道会としては新しい発想であったが、十字軍、レコンキスタ、大航海という同時代の流れに添った特徴でもある。すなわち、ロヨラは騎士物語を読んで騎士を目指し、戦傷を治している間に聖人伝を読んで聖人を目指したのだが、彼が創立したイエズス会も、内部だけではなく、一部を公開するために常に取材をおこなっていた。こういった意味でイエズス会は最初から物語、できれば聖人伝となる物語を作るための組織であったといえる。日本のような宣教地で取材されたネタは駅伝の如く世界各地で転写され、ローマ本部に辿り着いてからは編纂、省略、改竄され、更にヨーロッパ諸語に翻訳され、『報告集』という形で出版された。そしてこれらの書物がヨーロッパ側で日本に関する情報源として最も重要なものとなったのである。本発表では、この「物語生産機」イエズス会によって作られた日本物語の変遷と後代の「日本記憶」の形成を紹介する。